2009年 11月 24日
NY回想記 3 |
その最悪なホテルは洗濯機が無かった。
コインランドリーが外のどこにあるのかもわからない。
しょうがないので共同であるバスタブにお湯を溜めてそこに洗剤を入れ、
そこに衣服を浸けて足で踏んで洗った。
NYにまで来て何をしてるんだろう…。と思いながら。
そして何回かそれを続けているうちにもう面倒くさくなり、
バスタブで服を着たままシャワーをして石鹸で洗った。
もうやけくそである。
しかしこれなら服と体を同時に洗える。
生活の知恵である。一石二鳥だ(笑)。
こんな生活がいつまで続くのか…。
そして数日NYの街を探索した。
地下鉄、バス、高層ビル、街並全てが新鮮に見える!
そして街全体がアートだ!
ロックフェラーセンター近くに紀伊国屋書店がある。
そこに行って情報収集をした。日本人向けの新聞などもある。
そしてジャズクラブに行った。
グリニッチ・ビレッジをブラブラして、
初めて入ったのはスイート・ベイジルだ。
凄くよかった!
誰だったかもう忘れたが黒人の演奏するジャズは
日本のそれと全く違っていた!
ジャズクラブの雰囲気も日本と違う。
ジャズはアメリカの音楽であり、文化であり、
ジャズが日常生活に溶け込んでいるように感じた。
路上でSAX吹いている普通のお兄さんでもめちゃ上手い。
日本でやったら一流ジャズマンとして受け入れられるだろうに、
こっちでは仕事も無く路上で吹いているのだ。
それから僕は滞在期間、NYのジャズクラブは殆ど行ったし、
特に好きだったのはあのビレッジ・バンガードだ!
もう何回行ったか覚えてない。毎週のように行った。
そんな感じで僕は益々NYの虜になっていったのである。
さて話は変わり、
前に書いたとおり僕は学生ビザでNYに来ていた。
なので学校に通った。英語学校だ。
半年だけ通った。
その学校は確か半年単位で在籍して
それを過ぎるとまた半年分学費を払う。
僕はお金の都合上、半年で止めた。
しかしその学校は多くの日本人が在籍していて次第に友達が出来た。
長くNYに住んでいる人もいて、案内してもらったり遊んだ。
中でもヒデとマサとはよく遊んだ。
ヒデはイラストレイター志望で絵が上手かった。
マサはNYで会社を立ち上げたいなどと言っていた。
二人とも僕より少し年下で、色々頑張っていた。
後に、この二人とは観光客が絶対に行かないような所で遊んだりした。
クラブなども行った。
拳銃事件があったらしいそのクラブは入場する前に
恐持てのガードマンに口の中までチェックされる。
やはり治安がよくなったといっても危険な場所は存在する。
今考えるとよく生きて帰って来れたなと思うような事が
いくつかあるのだが、当時はあまり深く考えてなかったというか。
ある日夜中の2時頃、その二人と酒を飲み、
大声で街中をウロウロ歩いていたら、
マンションの上階から誰かにビール瓶を投げつけられた。
もし頭に当たっていたら…。
バカというか、恐い物知らずというか…。
若気の至りである。
続く…。
コインランドリーが外のどこにあるのかもわからない。
しょうがないので共同であるバスタブにお湯を溜めてそこに洗剤を入れ、
そこに衣服を浸けて足で踏んで洗った。
NYにまで来て何をしてるんだろう…。と思いながら。
そして何回かそれを続けているうちにもう面倒くさくなり、
バスタブで服を着たままシャワーをして石鹸で洗った。
もうやけくそである。
しかしこれなら服と体を同時に洗える。
生活の知恵である。一石二鳥だ(笑)。
こんな生活がいつまで続くのか…。
そして数日NYの街を探索した。
地下鉄、バス、高層ビル、街並全てが新鮮に見える!
そして街全体がアートだ!
ロックフェラーセンター近くに紀伊国屋書店がある。
そこに行って情報収集をした。日本人向けの新聞などもある。
そしてジャズクラブに行った。
グリニッチ・ビレッジをブラブラして、
初めて入ったのはスイート・ベイジルだ。
凄くよかった!
誰だったかもう忘れたが黒人の演奏するジャズは
日本のそれと全く違っていた!
ジャズクラブの雰囲気も日本と違う。
ジャズはアメリカの音楽であり、文化であり、
ジャズが日常生活に溶け込んでいるように感じた。
路上でSAX吹いている普通のお兄さんでもめちゃ上手い。
日本でやったら一流ジャズマンとして受け入れられるだろうに、
こっちでは仕事も無く路上で吹いているのだ。
それから僕は滞在期間、NYのジャズクラブは殆ど行ったし、
特に好きだったのはあのビレッジ・バンガードだ!
もう何回行ったか覚えてない。毎週のように行った。
そんな感じで僕は益々NYの虜になっていったのである。
さて話は変わり、
前に書いたとおり僕は学生ビザでNYに来ていた。
なので学校に通った。英語学校だ。
半年だけ通った。
その学校は確か半年単位で在籍して
それを過ぎるとまた半年分学費を払う。
僕はお金の都合上、半年で止めた。
しかしその学校は多くの日本人が在籍していて次第に友達が出来た。
長くNYに住んでいる人もいて、案内してもらったり遊んだ。
中でもヒデとマサとはよく遊んだ。
ヒデはイラストレイター志望で絵が上手かった。
マサはNYで会社を立ち上げたいなどと言っていた。
二人とも僕より少し年下で、色々頑張っていた。
後に、この二人とは観光客が絶対に行かないような所で遊んだりした。
クラブなども行った。
拳銃事件があったらしいそのクラブは入場する前に
恐持てのガードマンに口の中までチェックされる。
やはり治安がよくなったといっても危険な場所は存在する。
今考えるとよく生きて帰って来れたなと思うような事が
いくつかあるのだが、当時はあまり深く考えてなかったというか。
ある日夜中の2時頃、その二人と酒を飲み、
大声で街中をウロウロ歩いていたら、
マンションの上階から誰かにビール瓶を投げつけられた。
もし頭に当たっていたら…。
バカというか、恐い物知らずというか…。
若気の至りである。
続く…。
by nobu-blue-pf
| 2009-11-24 13:52
| NY回想記